FC2ブログ
 

幸せを運ぶ☆ワクワクセラピー ソース

ポーチお届け

倫敦工房の橋本さんから連絡がありました。

91歳のおばあちゃんの作ったポーチを南相馬市に届けていただきました。

91歳のS・Yさんは、3・11の後、「何かできないか」と考えられ、
ポーチを作り始めたそうです。

私が、Sさんのお嬢さんに都民ボランティアの移動支援に出かけたお話をしたところ、
「ポーチを届ける方法はありませんか?顔の見える渡し方をしたいのですが・・・」
と相談を受けました。

東京都社会福祉協議会の方に伺うと、「正規の方法では難しいでしょう。人数分ないと、配れないでしょう。」
ボランティアセンターに伺うと、「あそこのボランティアは、物を配っている。」といわれると困ります。
ボランティアは、「もらわない、あげない」を謳っています。とのことでした。

郡山に住んでいる姉に相談したところ、「うつくしまあーとキャラバン」という、
避難所に袋の小物つくりの講習会などをなさっている団体の方を教えてもらいました。

早速相談すると、南相馬市で、被災後、社会福祉協議会だけで、しばらく、運営されていた避難所の方が、
知り合いなので、そちらに届けて下さることになりました。

「そちらは、2000人の方が避難されていたところなので、せめて、1割・200個にしてから、
渡します。」とおっしゃって、ティッシュケースを作られて、数がそろったら渡されるとのことでした。

それからも、北海道や、小布施で展示会をされていたので、お忙しいのに、「私も、汗を流さないと」と
おっしゃって、つくってくださいました。

そして、この19日に3時間もかけて、お出かけになり、南相馬市に届けてくださいました。
こちらでは、高齢の方が、引きこもってしまわまないように、お茶会を毎週開いているそうで、
いらした方に、直接手渡ししてくださることになりました。

とても喜んでくださったそうで、新聞の方も取材に来てくださったそうです。

91歳になっても、誰かのためにできることを探して、行動されることを知り、
「まだまだ、これから」と、元気をいただきました。

スポンサーサイト

PageTop

煮干の出しの中華そば

毎週、入院治療をしているMさんは、青森の方です。

「青森に帰ったら、何をしたいですか?」
と伺うと、
「煮干のラーメンが食べたい」
とおっしゃいます。

たまたま、(必然?)私の通勤途中に、有名な煮干の中華そばのお店があります。
そこで、
「退院の日を少し前に知らせていただけたら、煮干のそばを持っていきますよ。」
と、お知らせしました。

すると、前々日に、
「明後日退院できるかもしれません。熱がなかったら、退院です。」
と連絡がありました。

そこで、北区豊島にある伊藤というお店に行って、
持ち帰り用の冷凍中華そばを買ってきました。

翌日、【退院の前日】また連絡があったので、
「準備できていますよ。煮干の中華そば、ありますよ」
と、伝えると、
「楽しみです!!」と元気な声でした。

とても、面白いレシピで、最後には、
「この調理用以外では調理しないで下さい」と書いてあります。

退院されて、翌日
「煮干の出しのおそば、おいしかったです。普段は、おつゆを残すのに、全部飲んでしまいました。」
と、連絡を頂きました。

早く元気にになって、青森の煮干のラーメンを食べられるようになるといいなぁと思います。

PageTop

事実は小説より奇なり

小説Cafe Shellyは宮崎県のコーチングたぬきコーチ こと古賀 浩規さんのフィクションです。

もう少し資料に沿っていただけるのかと思っていましたが、事実とは、掛け離れた内容でした。私もお送りした資料を何度も、見直してしまいました。

お読み下さり、誤解された方や不審に思われた方からのお問い合わせがありましたので、お知らせいたします。

母は健在で体操教室に週3回通っています。

結婚して、主人の祖父母に大切にしていただき、
「こんなふうに年をとっても暮らしたいなぁ」と思ったことは本当です。

ある年の年末、祖母の癌がわかった時、手術すれば治ると思って、お正月の旅行を取りやめ手術しました。
ところが、退院できないまま半年後になくなってしまいました。

その年の末に、祖父の癌がわかり、あと半年と告げられました。
まだ、「余命半年」と言われたら、半年で亡くなってしまうと信じていた頃でした。

私たちは、「手術しても治らないなら、なるべく一緒に過ごそう」と、それから、毎週末、釣りに出かけました。
釣りの好きだった祖父は、季節ごとに、「小田原に行こう」「今は、潮来だ」
「千倉にキスをつりに行こう」「昇仙峡の岩魚だ」
と、計画を立て、「朝寝坊の孫を早起きにしてやるんだ」と、朝早くから出かけました。

幼稚園の長女と、0歳の息子を連れて、いつ倒れてしまうんだろうとハラハラしながら、
半年が過ぎましたが、祖父は元気です。

病院の薬は、飲まないので、どんどんたまって、センナを「これがいいんだ」といって、いつも飲んでいました。
食べられなかった食事も、釣りの帰りには、「タンメンをたべよう」といって、食べました。

それから、1年半、ほんとうによくでかけました。
病院で、病気だけに注目して、治療しかしなかったら、半年でなくなってしまったかもしれない。

でも、人は、いろいろな面があって生きているから、やりたいことや、孫を思う気持ちや自然に接することや、一緒に過ごしたい思いなどで、変わってきます。

でも、ちょっと、疲れたときがありました。「いつまで、続くんだろう」そう思ったことが伝わってしまったかのように、祖父の具合が悪い時がありました。

「こんな時、もう一人の私がいて、ちょっと替わってくれたら」
「大切な家族なんだけど、本当に信頼できる任せられるひとがいたら」

また、優しくできる。
そんな仕事をしたいです。

「どうしたら、喜ぶかな」と、考えてくれる。
「世の中には、信頼できる人が、存在する」と信じられる。

そのことで、家族が仲良くなり、家庭が明るくなり、それが社会に反映されて、社会が明るくなる。
ワクワクする人が増える、自分を大切にするから、他の人も大切にできる。
協力し合える世の中になる。

トラベルヘルパーや家族のように親身になってくれる、安心して任せられる人がいたら、車椅子や介護タクシーがあったら、もっと一緒に過ごせたかもしれない。

そんな思いの資料から「いつまで続くんだろう」の言葉だけ取り出して、全く違う考えを私が考えたかのように描かれたのには、驚きました。

順番もめちゃめちゃで、コメントも書き込めなくて、しかたないと思いました。
とても大切な祖父の思い出は変わりませんが、驚きました。

成り行きを静観していましたが、その都度、対応するのが大変なので、また、
「お仕事的には確かに下平さんですのに、看病の最中に私にもしたいことがあるのにと思うのは下平さんらしくないなぁと思っていました。」
と、私を理解して下さる方が読んで下さっていることを知りうれしく思いました。

また、車椅子を落とした介護タクシーがあると聞き、ありえないことだと思っていたら、
私が、落としたことになっていて、本当に驚きました。

しかし、お蔭様で、家族から、
「ひどいね」とか、「掲載をやめてもらったら?」とか、
会話が、以上に盛り上がっています。

実名で参加してもいいという方には、迷惑がかかるといけないので、仮名にしていただくことにしましたが、
ただいま、掲載中止をお願いしようか検討中です。

PageTop